[비즈한국] 谷ごとに寺があり、峰ごとに塔があり、岩ごとに仏がある。新羅人の仏心をそのままに留める慶州(キョンジュ)南山は、新羅千年の歴史をも丸ごと抱いている。新羅の始祖、朴赫居世(パク・ヒョッコセ)が生まれた場所も、新羅末期に景哀王が甄萱(キョンフォン)の刃に倒れた場所も南山の麓だ。慶州南山に登る道は、一歩ごとに物語に満ちている。

谷ごとに寺、峰ごとに塔
新羅の歴史の中心だった南山は、信仰の中心地でもあった。新羅人にとって徐羅伐(ソラボル)は仏国土(仏の住む理想世界)であり、その核心が南山だった。「寺は星のように、塔は雁のように」多かった慶州においても、南山は「谷ごとに寺があり、峰ごとに塔があり、岩ごとに仏様をお祀りした場所」だった。40あまりの谷で発見された寺跡だけで軽く150、岩を光背(仏の背後の後光)に見立てた仏像が130、峰を基壇に見立てた塔が99もある。
これは現在までに発見されたものだけを数えた数字だ。今なお慶州では少し地面を掘るだけで遺物が出土し、日本統治時代に日本が強奪した文化財も数え切れないため、南山の遺物・遺跡はその総数を推し量ることも難しい。だからこそ、慶州南山に登ることは、新羅千年の歴史を辿る道であり、かつての新羅人の仏心を汲み取る道であり、新羅統一後に一つとなった韓国人の故郷を訪ねる道でもあるのだ。


松林で有名な三陵(サムルン)は、南山の40ある谷の中でも最も遺物・遺跡が多い三陵谷の入り口だ。そのため、柳洪準(ユ・ホンジュン)教授と共に慶州を訪れたバラエティ番組「1泊2日」も、ここから南山踏査を開始した。三陵から渓谷に沿って500mほど進むと、頭のない仏様が端正に座っている。高さが1.6m、膝の幅が1.5mほどの比較的大きな座仏だが、緻密に描写された衣の紐や結び目が特に目を引く。威風堂々とした姿から、新羅の全盛期である8世紀の作品と推定されるが、長い年月を地中に埋もれたまま過ごし、1964年になってようやく再び日の目を見ることになったという。
頭のない仏様の上方の岩には、磨崖仏(まがいぶつ)が温かい微笑を浮かべている。磨崖仏とは、岩に刻んだ仏像の総称だ。岩を削り込んで仏像を刻んだり、岩の上にそのまま浮き彫りや線刻を施す。10数年前に破壊されたアフガニスタンのバーミヤン大仏や、中国の石窟にある石仏もすべて磨崖仏の一種である。

「慶州南山7大宝物」を巡る道
磨崖観音菩薩像を過ぎると、「1泊2日」で「慶州南山7大宝物」に選ばれた仏像が次々と登場する。家ほどの大きさの岩に細い線を一筆書きで刻み込んだ「線刻六尊仏」は、まるで一枚の幀画(掛け軸の仏画)を見ているようだ。デコボコした荒い表面がそのまま生きている岩の画仙紙の上に、タガネを筆代わりにして、自由な筆致で釈迦三尊と阿弥陀三尊が描き出されている。
線刻六尊仏からさらに200mほど登ると、磨崖如来坐像が迎えてくれる。線刻でシンプルに表現された身体の上に、陽刻で浮かび上がった顔が穏やかだ。岩の中にいた如来仏が、ちょうど顔から外へと現れ出たかのような姿をしている。丸い顎にふっくらとした頬、厚い唇に福々しい鼻は、幼い頃に近所にいたおじさんの面影そのものだ。新羅の徐羅伐にも、こんな顔のおじさんがいたのだろうか。

次は久々に磨崖仏ではなく、蓮華の座台に光背まで備えた石造如来坐像が見える。いくつかに分かれていたものを繋ぎ合わせた光背と、ひときわ高い鼻筋がどこか不自然にも見えるが、これは最近復元されたものだという。それでも、ふくよかな体つきと柔らかな衣のひだは石窟庵の本尊仏を彷彿とさせ、十分に美しい。
さらに山を登ると、巨大な岩に刻まれた磨崖如来大座仏が、山の下の衆生を見守っている。高さ6mの大座仏は南山で2番目に大きな仏像で、顔は比較的精巧な陽刻だが、頭の上の方は大雑把に削り出されており、身体は粗い表現となっている。先ほどの磨崖如来坐像が岩の中から顔を出し始めた様子だったとすれば、今回は頭から始まって上体までが飛び出してくるかのような形勢だ。

磨崖如来大座仏からもう少し登ると、金鰲峰(クムオボン)の頂上に至る。もともと南山とは、金鰲峰(468m)と高位峰(494m)を中心に60余りの峰々が集まった山だ。一日で金鰲峰と高位峰の両方を巡ることは無理なため、ここからは無理をせずゆっくりと下るのが良い。
<旅行メモ>
三陵(サムルン)
△位置:慶州市 拝洞(ペドン) 山73-1
△問い合わせ:054-779-8585
△利用時間:24時間、年中無休
筆者ク・ワンフェは大学で歴史学を専攻し、『女性中央』、『フライデー』などで記者として勤務した。ランダムハウスコリア旅行出版チーム長として「世界を行く」、「100倍楽しむ」などの旅行ガイドブックシリーズを総括した。現在は2人の子供を育てながら、子供たちに聞かせたい歴史や旅行の話を書いている。