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好き嫌いは「どうしようもない」、それでも観ずにはいられない

この記事はAIによって自動翻訳されました。原文(韓国語)と異なる部分がある場合があります。  Read original in Korean →

[비즈한국] 最近、SNSやオンラインコミュニティなどで、映画『どうしようもない(原題:어쩔수가없다)』に対する激しい反応が目立つ。映画の演出を手がけたのは、大韓民国を代表する監督の一人、パク・チャヌク。キャストにはイ・ビョンホンをはじめ、ソン・イェジン、パク・ヒスン、イ・ソンミン、ヨム・ヘラン、チャ・スンウォンなど、これ以上ないほど豪華な名前が並ぶ。受賞は逃したものの、13年ぶりにヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門に進出した韓国映画として注目も浴びた。ところがこの映画、公開後、当初の予想とは異なる不評(不好)の反応が激しい。パク・チャヌクの映画はもともと好みが分かれ、好き嫌いがはっきりする方ではあるが、これほどの反応が出るとは誰も予想できなかっただろう。

人間の喜怒哀楽を超える多層的な感情を演技で昇華させてしまうイ・ビョンホン。本当に、彼の演技は「どうしようもない」。写真=CJ ENM·モホフィルム提供
人間の喜怒哀楽を超える多層的な感情を演技で昇華させてしまうイ・ビョンホン。本当に、彼の演技は「どうしようもない」。写真=CJ ENM035760·モホフィルム提供

私は『どうしようもない』を楽しく観た。もともとパク・チャヌク映画の作風を好む方だし、この映画のブラックコメディ的な情緒も気に入った。パク・チャヌクの最高傑作だとは思わない。前作の『別れる決心』と比較する声も多いが、監督自身が語ったように全く異なるタイプの映画なので、同列に比較するのは無理がある。『別れる決心』の作品性は称賛するが、個人的には『どうしようもない』の方が面白く感じられた。しかも、これほど百家争鳴(ひゃっかそうめい)でパク・チャヌクの映画について語り合っている雰囲気なのだから、まだ映画が劇場で上映中ではあるが、このコラムで取り上げないわけにはいかない。

製紙業界、それも特殊紙ラインで20年以上のキャリアを積んだマンスにとって、ライバルはそう多くない。自分より先を行くと予想されるク・ボムモとコ・シジョが排除対象として浮上する。写真=CJ ENM·モホフィルム提供
製紙業界、それも特殊紙ラインで20年以上のキャリアを積んだマンスにとって、ライバルはそう多くない。自分より先を行くと予想されるク・ボムモとコ・シジョが排除対象として浮上する。写真=CJ ENM·モホフィルム提供

『どうしようもない』で人々が最も理解できないのは、主人公ユ・マンス(イ・ビョンホン)の選択とその動機にある。25年間製紙会社で働き、ある日突然解雇されたマンスは、3ヶ月以内の再就職を確信するが、1年経っても成功しない。耐えかねた彼は、席がないならライバルたちを排除してでも就職を成功させるという、危険極まりない選択をして実行に移す。この部分について、人々はマンスが「どうしようもない」状況ではないのに、「どうしようもない」と卑怯な言い訳をしているとして理解できないという。動機が弱く、蓋然性に欠けると非難する。『復讐者に憐れみを』と比較しながら、どうしようもない状況ではないことを事細かに語る者もいる。

失職後、マンスの妻ミリは様々な面でマンスに強力な支持を送る。それでも家長としての重圧はマンスを崖っぷちへと追い込む。写真=CJ ENM·モホフィルム提供
失職後、マンスの妻ミリは様々な面でマンスに強力な支持を送る。それでも家長としての重圧はマンスを崖っぷちへと追い込む。写真=CJ ENM·モホフィルム提供

しかし……マンスの選択の動機が、そこまで激しく非難されるべきことなのか? そして、映画の作品性を深刻に損なうほどなのか? もちろん、正常な人間なら再就職ができないからといってライバルを殺したりはしない。映画の中のマンスの状況は、誰が見ても「どうしようもない」状況ではない。マンスは、妻ミリ(ソン・イェジン)が言うように、家を売って残りのローンを完済し、アパートのチョンセ(賃貸借契約)に移り住むことができた。マンスの高級趣味である盆栽の腕を生かして、別の職種への転職も考えられたはずだ。何より、1年余り就職できなくても、マンスの家で変わったことといえば、ミリのテニスや社交ダンスレッスンの断念とパートタイム就職、食卓に並ぶおかずの質素化、そしてネットフリックスのサブスク解約程度だ。ああ、あと飼っていたゴールデンレトリバー2匹を妻の実家に送ったことか。これくらいのことで殺人を決意するなんて、人々が理解できず怒るのも一理ある。

マンス・ミリ夫婦と対照的なボムモ・アラ夫婦。極端な重なりで比較される二組の夫婦の状況が面白い。特にマンス・ボムモ・アラが共演する「赤とんぼ」のシークエンスは圧巻。写真=CJ ENM·モホフィルム提供
マンス・ミリ夫婦と対照的なボムモ・アラ夫婦。極端な重なりで比較される二組の夫婦の状況が面白い。特にマンス・ボムモ・アラが共演する「赤とんぼ」のシークエンスは圧巻。写真=CJ ENM·モホフィルム提供

だが、中産階級の視点から見れば、マンスの切迫感は十分に理解できる。マンスは失業中、遊んで暮らしていたわけではない。大型マートでアルバイトをしながら、着実に就職の機会を狙っていた。妻は製紙業以外の「盆栽」という新しい職種を口にしたが、実際分かっているだろう? 25年間一つの分野で働いてきた人間が、急に他分野に転職するのがどれほど過酷かということを。趣味程度の腕前では、生き残りをかけた冷徹な世界に食い込むのは容易ではない。不可能ではないにしても、運よく採用されても、25年のキャリアを持つベテランではなく、新入社員程度の扱いを受けるのが関の山だろう。そして、その分野の新入社員になるための就活生たちはどれほど多いことか。わざわざ高齢のマンスを雇う理由がない。

ボムモ以降、マンスが排除しなければならない製紙業界のベテランたち、チェ・ソンチュルとコ・シジョ。なお、ソンチュル(左)は現役で働いている。二人を排除する間、マンスはどんな変化を迎えることになるのか。写真=CJ ENM·モホフィルム提供
ボムモ以降、マンスが排除しなければならない製紙業界のベテランたち、チェ・ソンチュルとコ・シジョ。なお、ソンチュル(左)は現役で働いている。二人を排除する間、マンスはどんな変化を迎えることになるのか。写真=CJ ENM·モホフィルム提供

マートであれ他職種への転職であれ、その程度の待遇では命を繋ぐことはできても、マンスが維持してきた人生を送ることはできない。庭でバーベキューを楽しんだり、妻と社交ダンスを踊ったりした日々には戻れない。残り3億ウォンほどのローンと、さらに高額になった娘のチェロレッスンの費用を賄えない。家族のように育てたゴールデンレトリバー2匹を呼び戻すこともできない。妻はパートタイムの歯科衛生士として働き続けなければならないだろうし、天才と自閉の境界にいるように見える娘が、チェロで成功して独立する未来にも暗雲が立ち込めるだろう。映画序盤に「すべてを成し遂げた」と成就感と幸福感を露わにしていたマンスの、家長としての、ベテラン職業人としての自尊心? それは完全に打ち砕かれてしまうだろう。生きてはいけるかもしれないが、それが家庭においても仕事においても「すべてを成し遂げた」と頂点に立ったことのある一人の人間の人生と言えるかは疑問だ。マンス、そして彼が排除対象とするク・ボムモ(イ・ソンミン)やコ・シジョ(チャ・スンウォン)、チェ・ソンチュル(パク・ヒスン)のように、単純な食い扶持としてではなく、一つの職業に自分の人生を投げ込み、それと自分を同一視する人々なら、マンスの切迫感を理解できるのではないだろうか。

パク・チャヌクの映画はシーンの至るところにシンボルと意味が溢れているため、何度も観るほどその含意を把握する助けになる。今、百家争鳴でパク・チャヌクの映画について語り合っている人たちも、2回、3回と観ればまた別の感情を抱くかもしれない。写真=CJ ENM·モホフィルム提供
パク・チャヌクの映画はシーンの至るところにシンボルと意味が溢れているため、何度も観るほどその含意を把握する助けになる。今、百家争鳴でパク・チャヌクの映画について語り合っている人たちも、2回、3回と観ればまた別の感情を抱くかもしれない。写真=CJ ENM·モホフィルム提供

人々が口を揃えて言うパク・チャヌクとポン・ジュノの差で言うなら、ポン・ジュノは観客を物語が繰り広げられる状況に引き込んで共感を得てメッセージを投げかけ、結局その最後に重厚な感情を残すが、パク・チャヌクは観客に絶えず「これは物語である」ことを周知させて距離感を強調しつつ、同時に魅惑的な仕掛けで視線を引きつけてメッセージを投げかける。以前ツイッターに投稿されていた「パク・チャヌクとポン・ジュノの奇妙さの差」を例に挙げるとより明確だ。パク・チャヌクの映画は「美しい人魚を活け造りにする」こと、ポン・ジュノの映画は「広安里の刺身屋で社長が『今日の人魚のせごし、1万ウォンだよ〜!』と叫んでいる」ようなものだと。本作『どうしようもない』も同じだ。この映画はブラックコメディである。パク・チャヌクが作ったブラックコメディ。映画の中の主人公の選択に共感し、支持するところから出発しなくても良いということだ。人生の不条理をただ笑い飛ばすこともできず、かといって滑稽に描くブラックコメディにおいて、主人公に共感しようとすること自体が不条理ではないだろうか。

『どうしようもない』は公開5日で100万人を突破し順調に推移しているが、パク・チャヌク監督が常に熱望(?)する1000万人映画になることはないだろう。入り口の敷居が低い大衆的な映画だと主張したものの、老若男女誰でも楽しめるような映画ではない。秋夕(チュソク)の連休に両親を連れて家族で楽しめる映画だと強弁したいところだが、かえって家族たちに疑問符を残すことになるかもしれない。しかし、映画をあくまで「映画」として対するなら、楽しめない理由はない。パク・チャヌク特有のミザンセヌ(映像演出)を観る楽しみ、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番第2楽章で始まり、「赤とんぼ」や「そう、歩こう」を経て、チェリストのゴーティエ・カプュソンが演奏する「ル・バディナージュ(Le Badinage)」で締めくくられる音楽を聴く楽しみも大きい。何より、パク・チャヌクの奇妙な世界観を完成させる俳優たちの演技アンサンブルは、見逃せない醍醐味だ。

映画のエンディング曲『ル・バディナージュ(Le Badinage)』は、冗談、軽口という意味だという。パク・チャヌクが放つ軽やかな冗談、しかしその終わりに残る重厚な感情を、映画館で鑑賞する機会を勧めたい。個人的には、大企業の役員として順風満帆なキャリアを築き退職した私の父が、この映画にどんな感想を残したか、たまらなく気になるところだ。至極「T(論理的)」な性格でありながら、一方で漢詩を吟じることを楽しんだ父なら、もしかすると涙を拭ったかもしれない。

評価 ★★★☆

家長の重圧と人間の尊厳から生まれた冗談の引き金。

筆者チョン・スジンとは?

いくつもの雑誌を経て、映画と旅行、大衆文化について取材し執筆してきた。トレンドに遅れたくないと思っているが、最新ドラマを観ながら次の展開のありきたりなクリシェを予測してしまう「昔の人」になってしまった。広大なOTT世界を漂流しながら、失った感を取り戻そうと努力中。今の願いは、統合OTTのサブスク料金プランができること。

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정수진 대중문화 칼럼니스트
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