[비즈한국] インスタントラーメンの存在価値は、長く保存できる点にある。戸棚の隅で数ヶ月持ちこたえ、戦争や災害時には万能な非常食となり、一人暮らしの人にとってはいつも心強い一食となる。ラーメンはそもそも、新鮮でなくてもいいように作られた食品だ。
慶尚北道亀尾(グミ)市には、こうした普遍的な認識を真っ向から覆す人々がいる。ラーメンにも新鮮さがあり、揚げてから数日以内の麺は、一般的な流通製品とは香ばしさからして違うと信じている。毎年11月になると、数十万人がこの違いを確かめるために亀尾駅の前に列を作る。昨年は3日間で35万人がここを訪れた。
今年1月には米CNNの取材班も亀尾市を訪れた。CNNは亀尾ラーメンフェスティバルと農心の亀尾工場を取材し、5月12日に世界へ向けて紹介した。報道の核心は、亀尾がラーメンを通じて退屈な工業都市のイメージを脱ぎ捨て、文化都市への変貌を試みているという内容だった。
最近では、もう一つ朗報が続いた。オットギラーメンが亀尾に2000億ウォンを投資して輸出用ラーメン工場を建設するとし、慶尚北道および亀尾市と投資了解覚書を締結したのだ。電子製品の街である亀尾市は、どのようにしてラーメンの街へと生まれ変わったのだろうか。
電子製品の聖地でラーメンを大量生産
1991年、亀尾国家産業団地は大韓民国の電子産業の中心地だった。テレビやブラウン管、電子回路基板(PCB)が都市を象徴していた時代、ここにラーメン工場が建設された。電子産業中心の産団に食品企業が進出するのは、当時としては珍しい光景だった。
農心の構想は、単なる工場の移転や立地選定にとどまらなかった。1985年にラーメン市場1位となった農心は、世界市場への進出を念頭に置いて、既存とは異なる工場を計画した。1991年、亀尾第1工業団地の1万2700坪の敷地に170億ウォンを投資し、生産から物流までコンピュータで制御する無人自動化工場を建てたのだ。電子製品の街で電子製品を作るかのようにラーメンを生産するという発想だった。極めてアナログな食品であるラーメンが亀尾に根を下ろした方法は、逆説的にも当時としては最先端の生産方式だった。

工場はその後も進化し続けた。農心は1999年に亀尾工場を先端生産施設として拡張し、分速最大600個を生産できる高速ラインを導入した。現在は産業用ロボットと独自開発したAI技術が、数十もの工程に適用されている。
小麦粉が生地になり、薄く伸ばされてから縮れ麺としてカットされ、蒸されて揚げられ、完成品になるまでにかかる時間はわずか35分だ。人工知能が包装の不備や重量のバラつきを見つけ出す。国内で流通する辛ラーメンの80%、チャパゲティの90%がこの工場で生産されている。
工場の1日のラーメン生産能力は約600万袋だ。袋麺とカップ麺、スナック菓子をすべて含めた1日の最大生産量は665万個に達する。昨年はラーメン12億3000万個を生産し、生産額8840億ウォンを記録した。慶尚北道の住民全員が1日1個ずつ1年中食べても余る量だ。
CNNのカメラも、こうした姿を重点的に収めた。約600人の従業員がAIセンサーとスマートカメラを導入した高度な自動化ラインを運営し、工場で生産されたラーメンが都市の文化的求心点へと拡大していく現場を。
しかし、工場は長らく文字通り「工場」の域にとどまっていた。塀の中ではラーメンが生産され、塀の外の街は半導体や電子産業の景気に一喜一憂していた。工場と街の間の塀を取り払ったのは、2022年、ある公務員から出た意外なアイデアだった。
10枚の企画書が都市の運命を変える
2022年、亀尾市庁のある公務員が事業説明書を提出した。分量は10枚。核心となるアイデアは「工場で生産されてから2〜3日も経っていない、揚げたてのラーメンを味わえる祭り」だった。数十億ウォンもする外部委託の報告書でも、有名企画会社の提案書でもない、平凡な公務員の企画案だ。
簡単に言えば、インスタント食品に一種の「産地直送」の概念を適用したわけだ。一見すると滑稽に聞こえるかもしれないこの発想が、他の都市が簡単に真似できない亀尾ならではの素晴らしい独自コンテンツとなった。実際、揚げたてのラーメンを販売するために、実際にラーメンを揚げる工場が近くにある必要はない。やろうと思えば車で1日以内に配送できるほど国土が狭い韓国ではなおさらだ。それでも、この突飛な発想には妙な説得力があった。

2022年の初年度のフェスティバル訪問客は約1万人だった。2025年には最終集計ベースで35万人が訪れた。4年で訪問客がなんと35倍に増えた。数字だけを見れば、単なる地域祭りを越え、ラーメンを活用した大規模な消費・流通実験に近いほど成長したと評価される。
昨年11月7日の開幕初日だけで約9万人が殺到した。全長475mのラーメン調理エリアでは、数十人の料理人が多彩なラーメン料理を披露した。3日間で異色ラーメン約5万4000杯と、揚げたてラーメン48万袋が販売された。
祭りがどれほど成功したかを示す指標は訪問客数だけではない。いわゆる「偽物」が登場したことだ。ある民間業者が亀尾ラーメンフェスティバルの名声に便乗し、昨年5月に釜山機張(キジャン)郡で「2025世界ラーメンフェスティバル」を開催した。結果は悲惨だった。拙速な運営と暑さから「ラーメン・ジャンボリー」と揶揄され、主催団体とされていた業者は代金を支払わぬまま潜伏した。豪雨で会場が水浸しになる中、訪問客からは返金要求が殺到し、運営者は逃亡の末に検挙された。
同じラーメン祭りなのに、なぜ一方は35万人を集め、もう一方は捜査の対象になったのか。答えは「工場並みの体系的な運営」にある。亀尾ラーメンフェスティバルは、QRコードやキオスクの注文システムを導入して待機列をなくし、飲食スペースを利用客の特性に合わせて分けて運営した。複数の味を一度に楽しめる「半分サイズメニュー」を導入し、一番高いメニューでも9000ウォンを超えない。毎年繰り返される地域祭りの価格ぼったくり議論を真っ向から狙った設計だ。昨年の時点で訪問客の48%が市外からの来客であり、地域の飲食店や小商工人が参加して約15億ウォン規模の消費創出効果を上げた。
交通インフラも味方した。2024年末、大邱・慶北圏広域鉄道が亀尾駅に乗り入れたことでアクセス性が向上し、昨年の祭りは初日だけで前年の総訪問客数の半分以上が訪れた。外国人10チームが参加した「グローバル・ラーメン料理王」大会には、豚クッパラーメンや東南アジア風の焼きラーメンが登場し、K-POPが好きで韓国に来たところ祭りの情報を聞き、バスで2時間かけて駆けつけたというスウェーデンの交換留学生もいた。農心はグローバル市場向けに開発中だった「辛ラーメンキムチ焼きそば」をこの祭りで初めて公開した。地域祭りが多国籍食品企業の新作デビューの舞台となるまで、わずか4年しかかからなかった。
オットギが2000億ウォン投資、「ラーメンクラスター」の始まり
今年の夏、亀尾のラーメン産業はまた別の転機を迎えた。オットギラーメンと亀尾市は13日、亀尾第2国家産団の玉渓(オッケ)地域に2000億ウォンを投資し、輸出用ラーメン生産工場を建設するという協約を結んだ。新規雇用の規模は約120人レベルだ。オットギは急増するK-ラーメンの輸出量を消化する生産拠点が必要であり、新しい工場の敷地に競合他社である農心の主要生産拠点、亀尾を選択した。最近の用語を借りれば、いわゆる「ラーメンクラスター」の始点として十分に見なせる。
亀尾市は今回の投資を、ラーメンフェスティバルを通じて高まった都市の認知度と産業基盤が企業の投資につながった事例として自己評価した。産業が祭りを生み、祭りが都市ブランドを育て、高まったブランド価値が再び産業を呼び込むという好循環構造が作られたという説明だ。

もちろん、オットギがラーメンフェスティバルのために亀尾を選択したと断定することはできない。工場の敷地は、交通や物流、用水や電力、人材の確保、産業団地の支援条件などを総合的に検討して決定される。ラーメンフェスティバルは投資決定の直接的な原因というよりは、亀尾が持つ食品産業の基盤と都市の認知度を示す象徴として解釈される。
亀尾市は現在、ラーメンを季節の行事から都市の常設アイデンティティへと引き上げる作業を推進している。亀尾駅にはラーメン体験コンテンツを備えた広報館が設置され、来る11月6日から3日間開催される今年の祭りは、グローバルラーメンゾーンや外国人参加型コンテンツを拡大し、国際イベント級の規模で行われる予定だ。
朴正煕(パク・チョンヒ)と輸出、ブラウン管の都市だった亀尾は、こうしてラーメンの街になった。始まりはある公務員の10枚の企画書だった。長く保存するために作った食品に、あえて「揚げたて」という価値を付加するという逆転の発想が、数十億ウォンのコンサルティング報告書よりも、この街をより特色あるものに変貌させた。