[비즈한국] 「共にすることの価値」という言葉がある。10年ほど前、ある企業のイメージ広告に登場した言葉だ。共に歩む力が世界を変えることができるという意味を込めた素晴らしいコピーである。共にすることは共感や疎通を意味し、この力で新しいパラダイムを築くことができる。芸術もまた、人々の共感を得て初めて価値を持つ。共感は時代精神と普遍的な芸術言語から生まれる。『韓国美術応援プロジェクト』も、多様な人々の考えを分かりやすい美術の言語で提示したいと考えている。シーズン10を迎えるにあたり、孔子が語った「良い芸術は必ずや分かりやすいものであるべきだ」という思想を実践しようとする作家を応援する。

絵画において空間の意味が明確に現れたのは、風景を主題にするようになってからだ。西洋美術の場合、500年ほど前から空間を平面に表現する様々な方法を開発した。代表的なのが遠近法の出現である。
その結果、平面上に空間をリアルに移し替えることが可能になった。専門家たちはこれを「だまし絵の技術」と呼んだ。錯視効果を最大限に利用する方法だからだ。
実際はそうではないが、そう見えるように作り出すのである。目に見える世界に関心を向け、追求した結果である。これが絵画の核心を成す美学として定着することになった。おかげで西洋美術は飛躍的な発展を遂げることができた。したがって、西洋の風景画に現れる空間は、目の前に広がる現実世界を扱っている。物理的な空間といえる。


これに対し、韓国をはじめとする東洋絵画に現れる空間は、実際的なものを扱ってはいない。目に見える世界よりも、その背後に隠れている世界に関心が高かった東洋では当然のことだった。目に見えない世界を目に見える世界に例えて表現しようと努めたのである。
目に見える世界を描くことが物質界に対する解釈であるならば、目に見えない世界を収めることは精神界を分析する作業である。精神界とは、感情、理性、思考、記憶、想像、無意識、魂といったものを指す。これを可視的な風景として表現することは容易ではない。隠喩と比喩で混ぜ合わせた演出された風景であるため、大衆の共感を得ることが難しい。
専門家はこれを「写意」(意を写す)と呼ぶ。東洋絵画の主流をなす山水風景画に登場する空間は、心理的あるいは哲学的なものなのである。
ハン・セム作家の絵画は、写意的な風景として描き出した想像の空間である。中世の騎士が登場するゲームの中の風景のように、ファンタジーに満ちている。『アバター』のような映画の風景のように、草花が光り輝く野原を中世の騎士が馬に乗ってどこかへ駆けていき、断崖絶壁の間から強い光を放つ城が現れることもある。時にはアラブの騎士が剣を帯び、馬と共に焚き火を囲んで休息をとる。

月光が輝く雲の合間から現れた宇宙船のような飛行物体がマンションの森へ落ちていくかと思えば、別の次元に通じる扉のようなイメージの前で謎めいた人物が立っていることもある。このような想像空間で、作家は何を語りたがっているのだろうか。
「私は、私たちが日常の中で経験する不条理や矛盾を変えたいと思っています。これを私にできる方法で挑戦したいという思いです。それが絵画なのです」
叙情的な風景が抱くファンタジーな雰囲気や日常の中の突拍子もない状況は、作家が考える不条理と矛盾の比喩であり、中世の騎士やアラブの戦士のイメージは、それを変えたいという作家の願いなのだ。ハン・セムの想像空間の中の状況が現実になったら、もう少し良い世界が訪れるのではないだろうか。