[비즈한국] 「共にの価値(같이의 가치)」という言葉がある。10年ほど前、ある企業のイメージ広告に登場した言葉だ。共に過ごす力が世界を変えられるという意味を込めた素敵なコピーだ。「共にすること」は共感や疎通を意味し、この力で新しいパラダイムを築くことができる。芸術も人々の共感を得て初めて価値を持つ。共感は時代精神と普遍的な芸術言語から生まれる。「韓国美術応援プロジェクト」も、多様な人々の考えを分かりやすい美術言語で伝えたいと考えている。シーズン10を迎えるにあたり、孔子が言った「良い芸術は必ずや分かりやすいものであるべきだ」という考えを実践しようとする作家を応援する。

20世紀初頭、謎めいた絵画が登場した。この絵を見たヨーロッパの人々は「こんな描き方もできるのか」と驚嘆した。
こうした絵画で瞬く間にパリの美術界から注目を浴びたのが、ギリシャで生まれ、イタリアで画家としての第一歩を踏み出したジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)だ。当時、新しい芸術運動の精神的支柱とされていた詩人ギヨーム・アポリネールまでもが「形而上学的絵画」と評したほどだった。
キリコの絵画は「形而上学的絵画」という名で西洋美術史に確かな地位を占めている。20世紀の西洋美術史における一つの様式として登場した「形而上学的絵画」とは、1911年から1918年までにキリコが制作した作品を指す。なぜキリコの絵はこれほどまでに高く評価されたのだろうか。
印象派以降、西洋美術界では絵画がもはや現実を複製するものではないという認識が広がった。美術家たちは現実再現に代わる新しい絵画の手法を見つけ出さなければならなかった。20世紀の幕開けから、新しい道の模索は熱を帯びていた。その一つがキリコの絵画だった。


キリコが見出した道は、霧の中のように曖昧な世界だった。哲学書を読むときに感じる感情と似たような雰囲気を醸し出す絵だった。明確に理解できるわけではないが、何か深い思索のイメージがあることは確かだった。思考の世界を風景として描いたからである。
風景でありながら不条理な事物を組み合わせた、独特な雰囲気の広場を描いたキリコの絵画は、思考が生まれる脳内を具体的な形として引き出したものだ。だからこそ、当時の美術界で新しい絵画手法として認められたのである。キリコの絵画は、その後の美術史に登場するシュルレアリスムの土台となり、サルバドール・ダリやルネ・マグリットといった画家たちに多大な影響を与えた。
キム・ギソプの絵画にも形而上学的な雰囲気が漂う。見ようによっては叙情的な普通の風景画のように見えるが、単純な風景には見えないからだ。

力強い日の出の光を浴びた富士山が雲をまとい背景に横たわり、その手前にはくっきりとしたシルエットで描かれた鹿たちがのんびりと遊んでいる。あるいは、穏やかな波が打ち寄せる海岸で狼たちが遠吠えをしている。しかし、これらの動物たちの体は平面化されており、無数の色の点によって構成され、抽象性を帯びている。
叙情的な風景と不合理な動物の組み合わせを通じて、作家は何を語りたいのだろうか。彼は自身の絵を「孤独な風景」と呼び、風景を通して自身の内面に宿る孤独な感性を見せたかったのだと語る。
思考の様々な顔の中からキム・ギソプが選んだのは「孤独」である。私たちが山や海辺の風景から感じる孤独を人間本来の感性と捉える作家は、それを風景として演出して表現している。思索を込めたキム・ギソプの絵は、硬い哲学書ではなく、深い思索にいざなう詩集を読んでいるような感覚を覚えさせる。