[비즈한국] 人工知能(AI)が文化芸術作品やコンテンツを制作する事例は今や珍しくなくなり、それに対する驚きの反応も少なくなった。私たちが重視すべきなのは、同じ作品やコンテンツであっても、誰が作り出したかによって関心や好みが変わるという点だ。

チェコのチャールズ大学言語学科の研究チームが、チェコ語を母国語とする126人を対象に、人間が書いた詩とAIが書いた詩を提示し、「どちらが人間が書いたものか」と尋ねたところ、正解率はわずか45.8%だった。ランダムに当てる確率である50%よりも低かった。現代詩に至っては正解率が40.2%とさらに低かった。AIの方が人間よりも現代詩をそれらしく書けるということだ。ブラインドテストでAIが書いた詩は平均2.0点を獲得したが、人間が書いた詩は1.4点にとどまった。これもまた、AIの書いた詩の方が人間が書いた詩よりも、むしろ人々から共感を得られる余地が多いことを意味する。つまり、受け入れられやすいということだ。ところが、作品の作者を明かすと評価が変わった。「人間が書いた作品」は2.3点、「AIの作品」は1.0点となった。「想像力」という項目では、人間が2.5点、AIが1.6点と、その差はさらに開いた。
音楽についても同様の調査が行われ、似たような結果が出た。フランスの音楽ストリーミングサービス企業Deezerが8カ国の9000人を対象に行った調査によると、人々はAI音楽と人間が創作した音楽を区別できなかった。実に97%が区別できず、わずか3%しか見抜けなかった。しかし、信頼性は非常に低かった。AI音楽を信頼すると答えたのはわずか19%だった。さらに51%は、陳腐で質が低いと評価した。
ところが、後になってAI音楽であることを知ると、52%が不快感を覚えたと答え、80%がAI制作であることを公表すべきだと回答した。人々は人間が創作した音楽や歌を好み、AIが作ったのであればその事実を明かすべきだと考えていることが分かる。
最近、Deux(デュース)の新曲「Rise」が公開されたが、AIを活用したことが明かされた。メンバーのキム・ソンジェがすでに他界しているため、公表せざるを得なかったのだろう。

ウェブトゥーンも同様だ。2023年5月、NAVER035420ウェブトゥーンで連載中だった「神と共に帰ってきた騎士王」に星評価テロ(低評価の連投)が加えられた。作家がAIを活用して制作した事実が知れ渡ったためだ。Kakao035720ページで連載されたウェブ小説も、表紙デザインにAI生成ツールを使用したことで抗議を受けた。ウェブトゥーンや表紙デザインの場合、作家たちが直接抗議の声を上げた。AIの学習データとして無名作家たちの作品が使用された可能性が高いためだ。
出版界でもAI著者をめぐって論争が起きている。ある出版社が数千冊の本を出版したが、それらすべてがAIによって書かれたものと推定される。しかし、これを明かす義務はない。AIを利用して原稿を書いているのかどうかすら、公表する必要がない。出版の自由が憲法で保障されているため、強制することができないからだ。ただ、「AI実名制」を導入するにしても、どの程度寄与したのかを具体化する必要がある。単に利用したレベルなのか、全面的に依存したのかによって区分が必要だ。
重要なのは、読者の知る権利が保障されなければならないという点だ。少なくとも著者が人間か否かは知る必要がある。AIに対する信頼が低いためだ。もし、人工知能が執筆したことを後になって知った場合、騙されたような不快感を覚えるかもしれない。
公共部門でも考慮すべき点がある。まず納本制度を見てみよう。納本とは、新たに出版された刊行物を国立中央図書館と国会図書館に義務的に提出する制度で、図書館法で定められている。ところが、この対象からAI著作物を除外しようという意見が提起された。もしAIの使用有無を明かさない、あるいは虚偽に記載する場合には、ISBN(国際標準図書番号)を不許可にするか、事後取り消す方法も検討されている。

AI著者を介した出版も再考すべきだ。国家報勲部は先ごろ、軍人や消防官などが母・父として登場する絵本シリーズ「マイ・ヒーロー・ブック」50種をAIで制作した。AIで作れば時間や予算の節約効果があるかもしれないが、それよりも大きな公共的価値を見逃す可能性がある。未来の書き手を育成するという観点から、経済的効率性よりも創作者の視点で考える余地がある。何より、AIが作ったコンテンツに対する国民の好みはまだ低いため、それを考慮して政策を立案し実行しなければならない。
筆者のキム・ホンシクは、20代の頃から「文化の中に世界をより良くする道がある」という期待感を持って、大衆文化現象の森を歩き、開拓してきた。人工知能と量子コンピュータが活躍する21世紀においても、変わらぬ信念でその道を歩んでいる。