[비즈한국] ドラマはドラマにとどまらない。社会的影響力はもちろん、政策にもポジティブな結果をもたらし得るということを、Netflixシリーズ『真の教育』が証明している。ドラマが政策課題(アジェンダ)の設定を担っているからだ。

政策課題の設定とは、社会問題を政策的に解決するために制度的な検討を行うことを指す。政策課題の設定が研究されるようになったのは、1960年代の米国における黒人の大規模デモがきっかけだった。これに驚いた政治家や学者が、なぜ政府が黒人差別問題を政策として解決しなかったのかを検討するようになったのだ。
コミュニケーション理論で言う「アジェンダセッティング」とは、マスメディアが意識的に、現在の事案に対する大衆の考えや意見を形成する手法を指す。ウォルター・リップマンは「メディアが提供する情報が、我々の現実世界を構成する上で決定的な役割を果たす」と述べた。テキサス州立大学のマクスウェル・マコームズ教授は、著書『アジェンダセッティング(Agenda Setting)』の中で「メディアがある議題を重点的に扱うと、一般の視聴者はその事案を重要なものと認識するようになり、結果としてそれが重要なアジェンダとして浮上する」と明かした。公共のアジェンダを設定するのはメディアであり、メディアが世界を描写する視点そのものであるというわけだ。
以前はニュースや討論番組がこうしたアジェンダセッティング機能を担っていたが、近年はドラマもその役割を果たしているようだ。その代表例がNetflixドラマ『真の教育』である。このドラマには「教権保護局」が登場し、教権が崩壊した学校に監督官が派遣されて問題を解決していく過程が描かれている。ドラマは単なるドラマで終わらず、社会的波紋が大きかったため、政界でも反応があった。
12日、共に民主党のシンクタンクである民主研究院は「教育部の教育活動保護局新設案」に関する政策ブリーフィング報告書を発表した。ドラマのような暴力を用いた懲罰ではなく、責任型のコントロールタワーとして「教育活動保護局」というモデルを提示した。安敏錫(アン・ミンソク)京畿道教育監当選人も、京畿道教育庁内の教権保護局新設に関する公開討論を提案した。京畿道版の教権保護局は、学校コミュニティの回復に焦点を当てると述べている。
16日には保護者・教員・教育団体11カ所が集まり、「教育コミュニティ信頼回復国民運動」を発足させた。法的処罰や行政介入よりも、学校の信頼回復が優先だという主張だ。民主党が提案した教権保護局の核心機能としては、教育活動侵害事案の統合分類体系の構築、悪質な苦情に対する機関責任制、児童虐待通報への対応支援、学校コミュニティ回復支援などが挙げられた。制度的介入と教育コミュニティの信頼回復は、優先順位を定める問題ではなく並行して解決すべき問題であり、この議論のきっかけはドラマ『真の教育』から始まった。

教育権は学校のすべての主体が持っている。教師には教権があり、生徒には教育を受ける権利、保護者には子どもの保護権がある。ドラマにおいても、教師の権利だけでなく幅広いケースが取り上げられた。生徒が同級生をいじめたり恐喝したりする学校内暴力や教室の雰囲気を壊す事例はもちろん、試験問題を流出・操作する教師、悪質な苦情や干渉で教師を自殺に追い込む保護者、過度な教育熱ゆえに子どもの薬物投与を放置する保護者に対しても責任を問うている。
ドラマでは暴力団が頻繁に登場し、権力層の子弟による乱行が中心に据えられている。こうした点は現実とは異なるかもしれない。いずれにせよ、自律的な能力強化を通じて教育権に対する自生的な対応能力を高めることが重要だ。教育関連の市民社会団体も、外部からの力による手法ではなく、信頼に基づいた政策・法律案を熟議討論を通じて策定すると発表した。
Kドラマが社会的反響を呼んだ事例はこれが初めてではない。ドラマ『ザ・グローリー 〜輝かしき復讐〜』では学校暴力の問題が大きく浮上し、海外では有名人が学校暴力の加害者だと判明して公に謝罪する事態も起きた。しかし、それらは公的なアジェンダとまではならなかった。ドラマ自体が私的な復讐にとどまっていたからだ。対照的に『真の教育』は公的な介入や制度、政策に対する現実的なアイデアや代替案を含んでいるため、公的アジェンダとして検討されるに至ったのである。
私的な復讐や腹いせではなく、公的な言論を形成する公論の場としてのプラットフォームコンテンツが必要なのは、学校教育だけではないだろう。現実を指摘するにとどまらず、一つの代替案を提示する時、ドラマの社会的役割はさらに強化される。ドラマはドラマに過ぎないのではない。
筆者のキム・ホンシクは20代から、文化の中に世界をより良くする道があるという期待を抱き、大衆文化という現象の森を歩き、切り拓いてきた。人工知能や量子コンピュータが活躍する21世紀においても、変わらぬ信念で同じ道を歩んでいる。